8年次の私は(まだまだ20年前の話です。)、茅ヶ崎徳洲会総合病院形成外科医長として、待望の4年生の医師と共に診療に没頭します。待望とは?、そりゃそうです。レジデント教育の機会であり、認定医試験も終わったから余裕ができるし、下がいれば自由な時間が作れるからアルバイトも出来る。大学医局が人事配分を決定するのは前年の12月ですが、その時点は学会認定医取得前ですが、見切り発進で研修医の派遣が決定されました。しかし同時に、学会の認定医認定施設も申請認可されないとならなくなります。研修医は認定施設か関連施設で研修しないと、研修の年次数にカウントされないためまずいことになるからです。その為に症例数の閾が設定されます。だから、より張り切って診療して行きます。
イニシャルを出しますと、Ym先生が来る事になりました。今はShiro〜クリニックで美容外科診療している医師です。私が4年次に1年間大学で研修していた年の新人ですから、一緒に診療した経験もあります。人格としても願ってもない医師で、いいやつです。この世代の人は至極全うです。その後も医局で、共に研究し、医学博士取得まで並走して、助け合いながら歩む事になりますが、有り難かったです。なんか腐れ縁みたいな関係でした。私が医局を辞めて16年次後に開業した際にもお手伝いいただいた仲ですが、その後問題に巻き込まれ、彼にも迷惑をかけたため、その後疎遠になってしまったのが残念で、申し訳なかったと思っています。慚愧に堪えません。
学会の認定医養成の為の認定施設は当時は確か?、年間200症例要しました。関連施設とは、単独では成立せず大学とのコラボで認定されますが、年間100症例だったと思います。その前年の症例は認定施設をクリアーしました。前途揚々と診療、特に手術をこなして行きますが、外来診療を手分け出来るので助かります。手術が増えれば入院も増えるので、病棟管理も手分け出来るので安心です。
いくつか当時の日常を思い出しました。朝8時から、二人で病棟回診します。入院患者さんの状態を二人で把握します。その後9時から12時まで外来診療で、毎日受け付けていますが、二人が曜日を分けます。初診も再診も診ますから、結構ひっきりなしに診察ますが、形成外科医療に於いては危急の患者さんは数少なく、患者さんの希望に沿った選択を提示し、時間をかけて相談していく流れが執られますから、時折患者さんが詰まってきます。病棟管理=創の処置や処方や看護婦への指示は残りの一人が一通りこなしていきます。まだ入院患者は10人以下ですから、朝9時から早ければ10時、大抵11時までには終わります。時間が出来たら、勉強するのもありですが、一応外来に行ってみて混んでたら手伝う事もありました。それでも外来診療が12時を過ぎる事もありました。午後は手術枠が毎日頂けました。とは言っても、私が木曜日、相棒が火曜日を研究日にして休みますから、二人で手術をするのは実際には週3日でした。そうはいっても結構手術がいっぱいでした。今更言うのも恥ずかしいのですが、私はまだ8年生で、学会認定医を取得したばかりですから、一人前の形成外科医と言っても、まだペーペーなのです。手術も初めてのケースがあります。そもそも形成外科の手術患者さんは、全く同じ部位の全く同じ疾患は先ず居ません。したがってすべての手術は違うデザインで、違う手術法です。一つ一つの症例をじっくりデザインして、場合によっては何気なくYm先生に教えながら、確認しながら手術していると、手術時間が伸びていました。午後1時から5時までの4時間で1日に2例だけという日がほとんどでした。週に数例は全身麻酔での手術も入りました。その日は1例しか受けてもらえませんでした。
また、症例のカテゴリー分けをしてみようと思ったのですが、長くなりそうなので次回に。